下野三十三観音

下野三十三観音 水彩画 清瀧寺 休日画人の古刹めぐり

「国府は都賀郡にあり」
下野国は律令時代、7世紀後半に形作られ、ほぼ現在の栃木県の形に形成されている。 『和名類聚抄』には「国府は都賀郡にあり」とあり、近年には国府の跡地も発見されているようである。律令期には下野国は9郡で構成され、足利郡、安蘇郡、梁田郡、都賀郡、河内郡、芳賀郡、那須郡、寒川郡、塩谷郡に分割。中世に入り、江戸期には幕府直轄領や旗本領に細分化され、譜代大名や旗本が多く支配するように変化し、幕藩としては宇都宮藩、壬生藩、烏山藩、黒羽藩、大田原藩、佐野藩、足利藩、吹上藩、高徳藩、喜連川藩の諸藩が分割統治をしている。
この江戸期には聖地日光や奥州へ向かう街道が次々に整備され、日光道中、奥州街道、例幣使街道など、各所に宿場町が設けられ、また利根川水系の渡良瀬川や思川、鬼怒川などの河川交通網も整備され、物流関連も徐々に盛んになってきている。
下野三十三観音霊場の開創は1708年ごろと云われ、交通網がどんどんと整備され、まさに宿場などが徐々に活況を呈してきていた時代ではなかったろうか。
今回の口絵の清瀧寺は、下野三十三観音霊場の第一番札所。手水舎と本堂が朱色に化粧されたいへん美しい。落葉の済んだ境内の風景を描いている。

by 休日画人