IZUNAKADO33

伊豆中道三十三観音

 

<<参考情報>>reference

・安永1773~文政1824ごろ開創と云われる

・伊豆の国市を中心に周辺に分散

・案内は処々で散見される

・三島市の市中心街からスタート。全体としてほぼ真直に南方に向け進んでいくことになる。中段あたりから狩野川に沿うように札所を打って行き、最後は温泉地としても有名な修禅寺にて結願を打つことになる。 

 

 

 

<<ぎゃらり>>gallery

 

 

 

<<ぷち情報>>petite info

 とある住職曰く、

「いまは伊豆中道三十三観音を廻る人はいないねえ~」と。

ネット情報を拾っていくと、近年になり、伊豆横道三十三観音を調査する中で伊豆中道三十三観音が存在していたことがわかってきた云々、の記事に行き当たる。

伊豆地方にはいくつもの霊場があるものの、伊豆中道三十三観音の存在はさして大きくなかったようである。当然その縁起もはっきりとしていない。龍泉寺(伊豆長岡町)に明治35年に奉納された木版があり、その後の研究から安永1773~文政1824ごろに開創と推定されているらしい。18ヶ所が伊豆の国市にあり、香山寺には江戸時代の石造物で銘文の彫られたものが現存しているとの情報もあるようである。

さて伊豆の名称の方を調べてみると、諸説あるようであるが、古来より温泉の多いことから「湯出(ゆず)」と呼ばれていたことに由来していると説もある。

『旧事本紀』には神功皇后(4世紀後半ごろ)のとき伊豆国造(くにのみやつこ)が任じられたとあり、『日本書紀』には応神(おうじん)天皇5年伊豆国に軽舟の建造を命じたと。相当に古い時代からこの地域を指す呼称として「ゆず」という音があり、その後の律令制度が整備される中で、漢字2文字、伊豆が当てられ現代に至っているようである。

今回の口絵の蓮馨寺は、伊豆中道三十三観音霊場の第三番札所。三嶋大社に代表される三島市にあり古来からの交通の要衝地。地図上では容易に場所がわかるものの、交通量も多く、建物が林立。目的地を訪れるのはひと苦労。手狭の感がある境内にはお堂や石像が立ち並び、本堂は2階建、RC工法となっている。

 

 

 

伊豆中道三十三観音 水彩画 リストA 休日画人の古刹めぐり
伊豆中道三十三観音 水彩画 リストB 休日画人の古刹めぐり

 

 

 

<<りすと>>list

伊豆中道三十三観音 水彩画 リスト 休日画人の古刹めぐり