MIKURIYA33

御厨三十三観音

 

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・縁起不明

・静岡県駿東地方に点在。

・案内板はない

・御殿場市の光明院からスタート。 町の西エリアを廻ったのち北東方面の小山町を巡っていく。 中盤で一度御殿場に戻ってくるものの、後半にはポンと飛んで裾野市へ。 5箇所巡った後、さらにポンと飛んで沼津市で結願を得ることになる。

 

 

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御厨???

 

あまり普段使い慣れない漢字「厨」は熟語「厨房」としてはしばしばお目にかかる。 いわゆる台所を意味し、御厨は「みくりや」と読む。 今回の巡拝のエリアは駿東と言われる処。富士山の東エリアといった方がわかりやすいかもしれない。

 

さて御厨であるが、PCでググルと、

古代・中世の皇室や伊勢神宮などの食料調達に関わる所領のことを意味していたと出てくる。 武家政権が成立する以前から存在していることからかなりの歴史を有している。 全国各地に御厨は存在していたようなのだが、そのうちの一つが今回旅した静岡県駿東地方にもあり、御殿場市東部・小山町南部・裾野市北部にまたがった地域で、大沼鮎沢御厨と呼ばれていたらしい。 その成立は10世紀か、遅くとも11世紀初頭と云われている。 現在の東名高速の御殿場IC周辺には「大沼」呼ばれる広大な沼地があったらしくこの名前の由来になっている。 明治に入り自治体が編成された際には「御厨町」と命名され、その後御殿場市などへと細分化し現在に至っている。

 

さて縁起であるが、残念ながら伝承が残っていない。 この地域は1707年に発生した富士山の宝永大噴火を抜いては語れない場所である。 調査資料によれば、御厨地方では約90cmの火山灰が降り積もり、20年を超える歳月をかけ田畑を再生している。 個人的見解であるが、噴火以降に観音霊場が整備されたのであれば、鎮魂の石碑とか多くの遺産が残っていてしかるべしと思われる。 霊場は噴火以前に存在し噴火による人口流出や土壌整備・改良の道程の中で遺棄してしまったと考えた方が合理的なのかもしれない。

 

今回の口絵の庚申寺は、御厨三十三観音霊場の第二番札所。 駿東を貫く大動脈である東名高速と国道246号。 その間を走る県道394は地元ご用達の道路といったところ。 その一歩奥まったところに庚申寺はある。 街中で境内は広くはないが、きれいに手入れのされたお庭、そして本堂が地元の鎮守さまとなっている。

 

 

 

御厨三十三観音 水彩画 リストA 休日画人の古刹めぐり
御厨三十三観音 水彩画 リストB 休日画人の古刹めぐり

 

 

 

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