伊具三十三観音

伊具三十三観音 水彩画 リストA 休日画人の古刹めぐり

イグ?

近年話題となるイグノーベル賞なら多く人の聞くところである。受賞者に日本人が多いは不可思議なことなのだが。。。今回の旅の舞台は伊具三十三観音霊場。漢字で書けばさほど違和感はないのだが、音読するとエッツ?と聞き返すことになる。現在も宮城県の南端に伊具郡としてその場所は残っている。古く『先代旧事本紀』「国造本紀」には伊久国造として登場し、郡衙は伊具盆地を流れる阿武隈川の東エリア、東根と呼ばれるところに築かれていたらしく、中世には北エリアは伊具荘となり江戸時代の幕末には全域が仙台藩領であったとか。ネット情報では、伊具の観音霊場の初創は天保年間(1830~44)、また明治末期に西円寺住職による再興とある。初創の頃は仙台藩主が伊達慶邦の時代であった頃であろうか。慶邦は1825年に生を受け、幕末期の奥羽越列藩同盟~戊辰戦争へと激動の時代に藩主としてこの時代を生き抜いた藩主である。年号から見れば彼の青年期の頃に初創されているようであるが、何を願い何を目的に開創されたものであろうか。思いあぐねるもまた一興なり。

さて現在の観音霊場の状況であるが、堂宇の比率が高く、廃寺の数も少なくない。かなり衰退が進んでいる。巡拝にあたっては、ゆめゆめ順打ち、逆打ちに拘らないことを進言したい。くじ引きで順番が決まったかのようにランダムに配置されている。

今回の口絵の福沢観音堂は、伊具三十三観音の第一番札所。この地域は数年前(2019年台風19号による)大雨により阿武隈川が氾濫。その支流である五福谷川、新川などを含めた広域で浸水などの大きな被害が発生している。支流を上っていくと大きな岩が川辺にゴロゴロとむき出しに転がっている様が見て取れる。そんな支流の中腹に福沢観音堂はある。道路脇に大きな記念碑が建っているので比較的わかりやすい。丸太を組んだ階段を上っていくが、途中、隣接の民家の犬に騒ぎ立てられる。境内には長い歴史を刻んできた重厚な堂宇と簡素な鐘撞堂。そっと手を合わせ目を閉じると、静寂に包まれ自ずと身が引き締まる思いがしてくる。

by 休日画人