会津三十三観音

会津三十三観音 水彩画 照谷寺 休日画人の古刹めぐり

会津の語源は古事記に?
「古事記」に登場する「相津」が今日の会津なのではないかと云われているようです。古事記には、崇神天皇の時代に大和朝廷より四道将軍が派遣され、そのうちの二人が合流した場所が「相津」だったと。会津美里町の伊佐須美神社縁起にも同様の伝承が残っているらしい。津は船着き場を意味し、会津の地には只見川、大川、日橋川、押切川と、東西南北からいくつもの川が中心部に向かっています。そしてたくさんの川が集う場所という意味で「相の津」となったと。
会津地域がいかに早い段階で大和朝廷下にあったことの証左なのかもしれません。
今回の口絵の照谷寺は、会津三十三観音霊場の第二十番札所。御山観音とも呼ばれている。本堂の参道の南方に今回の観音堂と鐘楼とが対となって鎮座している。こぢんまりとした観音堂がとても愛らしい。

by 休日画人