田村三十三観音

田村三十三観音 水彩画 清水寺  休日画人の古刹めぐり

福島県の田村地方の名称は坂上田村麻呂に由来しているとか。
坂上田村麻呂は桓武天皇の時代に征夷大将軍として蝦夷征討に功績を残した歴史上の人物である。この田村地域には坂上田村麻呂に関する多くの伝説・言伝えが残っており、征討の功田(褒賞)としてこの地を賜ったとの話もあるようです。その後、荘園としての田村荘を坂上田村麻呂を祖とする田村庄司家が支配。時代時代の権力闘争により三春田村氏に権力が移行していく。時代が下り武家の台頭につれて田村郡と形を変え、三春田村氏が戦国大名としてこの地に確固たる基盤を築き上げていきます。しかしながら、戦国期終盤、豊臣秀吉の奥州仕置により領主であった三春田村氏は改易。会津に移った蒲生氏郷の領域となり江戸期を迎えることになります。はてさて、田村三十三観音が開創される1692年はどのような政情だったのか?蒲生支配も長続きせず、三春藩として、加藤家、松下家、秋田家と目まぐるしく所領する領主が変化。北に二本松藩、南に守山藩といった配置であったようです。観音霊場が成立した頃は、発足間もない秋田家が支配。観音霊場は古く田村荘であった黄金時代を想起して開創されたのかもしれない。
今回の口絵の清水寺は、田村三十三観音霊場の第一番札所。いまにも倒壊しそうなお堂。支柱にて何とか建っていられるような状態。丘の上にひっそりと佇んでいる。

by 休日画人