下野国(栃木県)の中央ちょい南に広大なエリアを有する都賀郡があった。
明治維新の「旧高旧領取調帳」によると、都賀郡の中には壬生藩、吹上藩をの他に飛び地として幕府領、旗本領、宇都宮藩、足利藩、大田原藩、高徳藩、喜連川藩、出羽久保田藩、上野館林藩、常陸下妻藩、下総古河藩、下総結城藩、下総関宿藩、下総佐倉藩、下総多胡藩、武蔵金沢藩、対馬府中藩、日光領が含まれていたことが明記されている。この都賀郡は時代の流れとともに、上都賀・下都賀に別れ、また近隣の市に吸収合併され、現在は一部に下都賀郡が残るのみとなっている。いまは上都賀郡は消滅している。
都賀三十三観音霊場の成立は不明であるが、この都賀郡の土地は広大なエリアなれど、江戸期にはいろいろな藩の飛び地が乱雑に入り組んでいたようで、そういった状況下で観音霊場が開創されたのか否か。あるいは、明治維新以降の廃藩置県を経て、下都賀郡、上都賀郡にまとまった時期に開創かれたのだろうか?いまのところ手掛かりはない。同じこの地域には都賀三十三薬師も現存していることをここに記しておく。
今回の口絵の定願寺は、都賀三十三観音霊場の第二番札所。にぎやかな街中の立つにもかかわらず、山門の中はひっそりとした空間が広がっている。山門の扉から本堂をとらえ描いている。本堂の大きな屋根と唐破風の軒が歴史的風格を醸し出している。
by 休日画人