MIURA38JIZO

三浦三十八地蔵


 

<<参考情報>>reference

・縁起不明

・三浦半島全域に分布

・霊場会&HPあり

・巡拝は三浦半島の中央付近、横須賀市の山間の大松寺より始まる。札所を訪ねながら三浦半島の南東の沿岸に出る。半島沿岸を南下しながら右まわりに巡拝をしていく。二十番台半ばで西海岸から東海岸へと半島の丘陵を横断し続いて南下していく。観音崎周辺には多くの札所が密集しており、ここで結願を迎えることになる。

 

 

 

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<<ぷち情報>>petite info

「みうら」ってかなり古い呼称なんだなあ~。
今回の三浦三十八地蔵尊霊場の縁起は不明なものの、「みうら」についてちょっと調べてみると。
この「みうら」とはかなり古い名称であり、三浦半島の地は、律令時代には東海道相模国に属し、日本書紀では「御浦」(みうら)と記されていたらしい。当時の「御」とは天皇に属するものにつけられる言葉である。万葉集では「御宇良崎」(みうら)、新編相模国風土記稿では「美宇羅」(みうら)とされ登場している。いずれにしてもこの地は「みうら」と呼ばれ、かなり古い時代からの歴史的な呼称のようである。
時代は下り、土地名称を関した三浦氏も歴史に登場してくる。桓武平氏を祖とし三浦為通(1010?-1083?)が初めて平氏に変え三浦氏を名乗ったとされる。三浦氏は鎌倉期には評定衆として枢要な地位を占めるが、権力闘争により、1247年の宝治合戦において北条氏と安達景盛らに滅ぼされることになる。 三浦氏直系はここで滅亡するが、傍流の三浦盛時により再興。やがて戦国大名の相模三浦氏と発展していくことに。。。云々。
今回の口絵の大松寺は、三浦三十八地蔵尊の第一番札所。急な坂を上り詰めた所に大きな桜の木。そのT字路を右折すると本堂の真正面。今回のスケッチは本堂西側の御堂から本堂と庫裏を描いている。年輪を重ねた桜の木が見事で、満開に描いてしまいました。

 

 

 

三浦三十八地蔵 水彩画 リストA 休日画人の古刹めぐり
三浦三十八地蔵 水彩画 リストB 休日画人の古刹めぐり

 

 

 

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