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相模新西国三十三観音


 

<<参考情報>>reference

・1744年春の彼岸に開創

・旧相模国の点在

・看板や表記が所々で見られる

・二宮町の等覚院藤巻寺よりスタートとなる。二宮町をぐるっと巡ったところで東進。大磯→平塚と巡拝を重ね相模川まで。丁度このあたりで中段となると共に方向を変え山の手方面に取って返すことになる。平塚から秦野に入り、結願は太岳院で迎えることになる。

 

 

 

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<<ぷち情報>>petite info

相模国、相州とは?

現在の神奈川県から、おおよそ川崎市・横浜市を除いた地域がこれに相当していると云われる。

7世紀の律令制の成立とともに相模国は発足することになるが、一時は鎌倉幕府に代表される武家社会の本拠地として繁栄。室町から戦国期にかけては小田原城に代表される大きな経済都市として栄えている。江戸期にはいって小田原藩が成立し譜代大名が統治する。そんな中1707年の富士の宝永噴火により大きな災害が発生し一時幕府領となりその後再び小田原藩の所轄となっている。霊場が開創されたのは1744年。譜代大久保忠興 が統治する江戸中期、徳川吉宗の時代である。参考までに二宮尊徳が登場するのは1787年ということですこし後の時代となる。そんな時代背景である。宝永噴火による被害は甚大で農地に降った火山灰の除去、酒匂川の治水工事等々、人力が主だった時代には気の遠くなるようなほどの労力を要したことと推察には難くない。多くの土地を復旧させるには数十年にもおよぶ時を要した、そんな頃だったのかもしれない。

今回の口絵の蓮花院は、相模新西国三十三観音の第五番札所。国道1号線(東海道)の大磯町~二宮町の町境。ここのT字路を山の手に入って行く。すぐに線路(東海道本線)を越えるアーチ橋に出会うが、実に奇怪なアーチ橋。車が一台しか通れずすれ違えないのだが対向車が見ない!橋の中央が高く先方の交通事情が見通せないのである。どー行くの?迷っていたら脇にちっちゃな信号機。はじめてみました。ここを越えると蓮花院はすぐ。駐車場から御寺の全容が見渡せるのでここからスケッチ。今回の相模新西国シリーズは陰影色とセピアの二色ですべておなじ色合いで描いてみました。

 

 

 

相模新西国三十三観音 水彩画 リストA 休日画人の古刹めぐり
相模新西国三十三観音 水彩画 リストB 休日画人の古刹めぐり

 

 

 

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