伊達秩父三十四観音

伊達秩父三十四観音 水彩画 興国寺 休日画人の古刹めぐり

いまは「伊達」といえば男気や粋さを示す言葉として使われている。

初めてこの漢字を見る人には初見で「だて」とは読めない。通説で云われるように伊達政宗に由来する。しかしながら伊達家と云えば青葉城、宮城県の仙台。今回の伊達秩父三十四観音霊場は、福島県福島市の東隣に位置する伊達市を中心としたエリアに分布している。この違和感はなんだろうか?

調べていくと、もともとこの地は律令時代に信夫郡とされ10世紀前半に信夫郡から伊達郡が分割されたらしい。他方伊達氏の出自を紐解くと、藤原家から端を発し鎌倉時代に源頼朝より伊達郡の地を与えられ伊達を名乗ったとされている。 「伊達」の読み方も、もともと「いたて」「いたち」と呼ばれ、15世紀から畿内で「だて」という読み方が広まり、江戸時代を通じて「いだて」と「だて」が混用され現在に至っている。

現代の私たちには大河ドラマや小説などで活躍する伊達政宗のインパクトがあまりに大きくて、この人物を中心に見てしまうが、歴史をみれば、もともと律令時代以降に伊達郡とされたことにより由来していたのである。

今回の口絵の興国寺は、伊達秩父三十四観音の第一番札所。真新しい山門をくぐると絵の情景が左右に広がっています。正面本堂への参道にはいくつも堂宇が連座し、この御寺の歴史を物語ってくれているようです。

by 休日画人