佐久三十三観音

佐久三十三観音 水彩画 東漸寺 休日画人の古刹めぐり

拆命。

和銅5年(712)編纂の古事記に登場する宇都志日金拆命(うつしひかなサクのみこと)がこの地を開拓したので「拆 サク」となったといわれる。他方、866年に編纂された日本三代実録にも記載があることからそれ以前にはすでに「佐久」という地名はここに根づいていたようである。
天正18年(1590)亀仙石秀久が小諸城主として佐久一円を領したが、寛永元年(1624)にはこの支配は崩れ、やがて年とともに領地が細分化していく。小諸藩は松本氏・青山氏・酒井氏・西尾氏・石川氏・牧野氏と繋がっていき、やがて明治維新に至るまでこの地に存続。元禄16年(1703)には岩村田藩、宝永元年(1704)には奥殿藩が成立したことから、佐久地方はこれら3藩と天領・旗本領による領地支配する形で明治を迎えることになる。
今回の口絵の東漸寺は、佐久三十三観音霊場の第二番札所。観音堂は本堂よりすこし高台に上ったところにある。本堂を見下ろす形で鎮座している。

by 休日画人