奥州昭和三十三観音

奥州昭和三十三観音 水彩画 宝寿寺 休日画人の古刹めぐり

昭和12年(1937)三十三番大儀寺二十七世徳山京輔師開創。
名称はその開創された時代の「昭和」から採っているものの、古くから「胆沢」と呼ばれる土地に観音霊場が開創されている。「胆沢」の地名が史料に現れるのは、続日本紀において宝亀7年(776)のことらしい。征夷大将軍、坂上田村麻呂や阿弖流為が登場する時代である。田村麻呂によって胆沢城が造営され、朝廷の管理下となり律令国家に取り込まれることになる。
11世紀初頭には安倍氏が「六箇郡の司」として領地化、その後は奥州藤原氏がこの土地を治めていく。
鎌倉期には鎌倉御家人の葛西清重が拝領し、室町期には奥州探題として大崎満持が統括。江戸期は言わずもがな、伊達政宗が東北の覇者として君臨していくことになります。そして明治の新政を経て胆沢郡として土地が再生されていきます。そんな歴史を刻むこの土地に奥州昭和三十三観音が開創されています。
今回の口絵の宝寿寺は、奥州昭和三十三観音の第五番札所。開けた土地に伽藍が形作られ、朱に彩られた山門が美しい。奥に本堂の大きな屋根が見える、そんな景観をスケッチしている。

by 休日画人