震災から10年を経て。
まだまだ記憶に禍々しい東日本大震災。そして続く原発事故は日本中を震撼とさせた未曾有の大事故でした。早10年という歳月が経たものの、いまだ帰宅困難地域や立入制限がされる地域があり、今回の旅の舞台となる奥相三十三観音霊場とは、そういった地域に伝承されている貴重な文化遺産のひとつとなっています。
奥州中村藩五代藩主、相馬昌胤が西国三十三観音霊場にならって正徳年間(1711~16)に札所を定めたことに始まると云われています。しかし、近年では社会の変化により巡拝者は減少。さらには原発事故の影響により壊滅的となり、所によっては維持管理もできない状態が続いているのが現状となっています。
話を千年ほど過去に遡りましょう。もともと相馬氏は平氏の名門のひとつ。下総国相馬郡(茨城県取手市周辺)を出自としていたそうです。鎌倉期に起きた内乱の平定によって二代目相馬義胤は陸奥国行方郡(福島県南相馬市周辺)に地頭職を得ることになり、子孫が塁代々とこの地に土着し、生活を育み、近代までその統治が続いていきます。戊申戦争までの統治が続いたと云われることから約700年超。日本中でも稀有な長期統治であり、領民にとっては生活安定をもたらしてくれた実にありがたい領主さまであったことと思われます。そんなこの地に観音霊場が開創されたのが1710年代。ざっと約300年の歴史を刻んで今に伝承されて来ているものです。
今回の口絵の新沼観音堂は、奥相三十三観音の第一番札所。相馬市役所から北東に約2kmほど。常磐線と相馬バイパスに挟まれたひっそりとした森の中にあります。道路わきの沼地があり、その奥にあるちょっと小高い所にお堂が建っています。六角をした小柄なお堂に千鳥型の向拝を備えるといったとても稀有な御堂の形を成しています。
by 休日画人