安積は『あさか』と読む。だいぶ古い時代からの呼称らしい。
安積というと昭和40年に郡山市と合併して消滅した旧安積郡を連想する方も多いかもしれません。が遠く律令時代の「和名抄」によれば西は会津郡、南は岩瀬郡と白河郡と記述されており、かなり広大なエリアが安積郡であったようです。
もともとこの『あさか』は5,6世紀に大和朝廷が安積付近に阿尺国造を置き、この『阿尺』が『安積(あさか)』に変化したものと言われています。ちなみに今日の郡山とは、律令時代に郡衙(郡司が政務を執った役所)が置かれていたことに由来し名を付けられているようです。その後安積郡は10世紀には安積郡から、安達郡・田村郡が分郡されドンドンと小さくなっていきます。今回の安積三十三観音霊場は、開創はまだ新しく1930年代。はてさてどの時代の安積郡を思い描いて開創されたものなのか。上述の歴史を知る方には興味湧いてくるところではないでしょうか。
今回の口絵の勝音寺は、安積三十三観音霊場の第十八番札所。山門前の広場に観音像をはじめとし多くの石碑、石像が整然と立ち並び、寺院の威厳を誇示している。山門の奥にそびえるように見える大きな本堂の屋根、そして嵩上げされた鐘楼が美しい調和を奏でています。
by 休日画人