岩間新秩父三十四観音

岩間新秩父三十四観音 水彩画 養福寺 休日画人の古刹めぐり

 なぜ「岩間」を冠されたのか?

今はこの茨城の地に岩間町は存在しない。駅名としては残るものの、2006年に笠間市、友部町、岩間町とが合併し、新たな笠間市が誕生し消滅している。

その一方で、霊場開創は 江戸天明期(1781-1789)とも伝えられ、札所の大部分が宍戸藩と思しきエリアに存在している。この宍戸藩は多難な歴史をたどるものの、この天明期には水戸藩の御連枝としての松平家が治めている。笠間城址近くにもいくつかの札所があるが、ここは隣接の笠間藩(譜代牧野家が統治)の所轄する地域であったと思われる。明治に入り岩間村ができ、そののち岩間町へとつながっていく。

成立時期を考えれば、「宍戸秩父」と冠してもおかしくはないが「岩間新秩父」と冠しているのは、開創が江戸期であるものの明治以降再興され、その際に土地の名称に改名されたのではないか。歴史の流れを強く感じる事項である。

今回の口絵の養福寺は、岩間新秩父三十四観音の第一番札所。山門下に広がる石積みと植栽のコラボが実に見事である。そんな情景を駐車場からスケッチ。

by 休日画人