やはり、猪苗代氏という氏族がいたんですね。
ネット情報を集めると、桓武平氏三浦氏の支族。三浦義明の七男義連の子佐原遠江守盛連の長男長門守経連に始まる。経連は、宝治二年に鎌倉将軍九条頼嗣に仕え、会津猪苗代麻谷荘五千余町を与えられ、猪苗代を名乗ったことに始まる、と。猪苗代氏による統治はその後約400年間つづき、戦国期が終わるとともに、蒲生家の所領となり江戸時代に入っていきます。その後名君、保科正之が会津藩主となり、幕末までその遺訓を守りながら松平家として続いていくことに。
今回の猪苗代三十三観音霊場は光圀公制定とも云われているようですが、1886年に再興され現在の形に至っているようです。その2年後、1888年には 猪苗代湖と並びシンボルである磐梯山が大爆発。各札所はどういう災害の歴史をたどったのか、歴史的興味の湧くところです。
今回の口絵の下館観音堂は、猪苗代三十三観音霊場の第十番札所。隣松院の入り口にそっと立っています。一見、蔵と見間違えるようなつくり。絵はまっすぐな道路から観音堂を中央に、本堂をかすめみるような構図で描いています。訪ねたのは4月末でしたが、桜が咲き誇ってました。やっぱ寒いんですね。
by 休日画人