阿伎留神社。
この土地は、古くより「あきるの」と呼ばれており、この阿伎留神社は、平安時代の「延喜式」にも記載されているほど長い時を刻みながら現在に伝承されてきています。鎌倉時代になると、秋留郷と呼ばれ、武蔵七党が支配。時代が下り
戦国時代の終わりごろからは、五日市に「市」が開かれ、秋川・多摩川を介して江戸開府とともに交流がさかんとなっていきます。明治に入り、五日市村は五日市町となり神奈川県に合併。明治後期には多摩地域ごと東京府に移管され、現在の原型が形作られていきます。さて秋川三十四観音霊場の開創は江戸末期。この翌年、江戸では安政の大地震が発生。そして数年後、安政の大獄と呼ばれる厳しい政治弾圧が繰り広げられ、政情不安な時代に向かっていきます。開けて明治。この土地ははじめ神奈川県だったとか。なんとも数奇な歴史をたどっています。
今回の口絵の光厳寺は、秋川三十四観音の第二番札所。岡を上り切った高台に境内があります。山門を入ると、真正面に本堂。両脇に金燈籠が鎮座し、唐風の大きな前室の屋根が風格を醸し出しています。
by 休日画人