蒲原三十三観音

蒲原三十三観音 水彩画 観音寺 休日画人の古刹めぐり

蒲原郡とはかなり広い領域を有していたらしい。
7世紀末には越国(含:越前、越中、越後)が存在し、大宝元年(701年)大宝律令が制定され、この越国の4郡(頸城郡・古志郡・魚沼郡・蒲原郡)をもって越後国が成立。この中でも蒲原郡はかなりの広範囲を占め、現在の新潟県の1/3~1/4程度を有していたようである。時代は下り戦国期には上杉景勝が豊臣政権の五大老の一人、越後120万石の太守として蒲原の地も所領。しかしながら関ケ原の戦後処理として上杉氏が米沢に移封されるや後は天領として代官所が置かれることになる。
1746年(延享3年)に、幕府直轄領として、水原城館跡に代官所が設置。代官所の支配地は阿賀野市をはじめ、新潟市北区・新発田市・胎内市・聖籠町・岩船郡の一部など複雑に分布し、支配高は6~10万石。代官所の機能として、年貢の徴収や民政の他に、福島潟の開発、新発田藩・村上藩の監視が主な目的だったようです。水原代官所は以降22代まで続き明治を迎えることになります。蒲原三十三観音は、元文年代(1736年~)将軍徳川吉宗の頃、水原町の長楽寺第17世住職如霖道実和尚により創設されたものと言われており、代官所が設立され、政権支配が安定・強固になっていく頃に開創されているようです。
今回の口絵の観音寺は、蒲原三十三観音霊場の第二番札所。よく手入れのされたスギ林の先に山門がある。木立から見えるでっかい楼門が階段の上に立っており威風を感じさせる。木立に差し込む木漏れ日が爽快。そんな情景をスケッチしています。 

by 休日画人