諏訪三十三観音

諏訪三十三観音 水彩画 頼重院 休日画人の古刹めぐり

大祝(おおほうり)って何だあ~?

律令制の時代には諏訪国というものが一時存在し、信濃国と付いたり離れたりしていたらしい。

もともと諏訪地方には諏訪大社に始まる独自文化が形成されており、古来特別な存在であったらしい。その諏訪の地を治めていたのが諏訪大社上社の大祝の諏訪氏。大祝とは神職神官を意味しているらしい。南北朝時代には諏訪頼重が諏訪の地を統治するが足利尊氏の攻勢により滅亡。戦国期には諏訪頼満により再統一。隣国甲斐国へも侵攻をしている。甲斐守武田氏と一時婚姻同盟を結んだものの、頼満の孫・頼重が独断で関東管領上杉憲政と和睦したことから武田晴信(信玄)の侵攻を受け滅亡することになる。その後、武田氏の滅亡後に発生した天正壬午の乱において諏訪頼忠によって諏訪氏は再興され、その息子の諏訪頼水が1600年の関ヶ原の戦いにおける功によって、徳川氏により高島藩に封じられている。その後は高島城を藩庁に諏訪氏により統治が行われた。江戸時代は整備された甲州街道の宿場として栄えていくことに。

今回の口絵の頼重院は、諏訪三十三観音霊場の第十五番札所。山門前の大きな石段に圧倒される。一般には石段は土手を削っていくものだが、ここは石段を前方にせり出した形で形作られている。山門の奥には唐破風の本堂が優しい姿を見せている。

by 休日画人