郡内三十三観音

郡内三十三観音 水彩画 リストA 休日画人の古刹めぐり

郡内地方とは?

郡内地方とは山梨県東部地域、都留郡一帯を指す地域呼称であり、これに対する県西部地域を国中地方とし、山梨県内ではよく使われる名称のようである。 

郡内の語源は戦国時代の都留郡領主小山田氏が自郡の意味で郡内と書いたのがその起源と云われ、郡内の初見は1535年の『快元僧都記』の記事にあるとか。この地域は山がちで耕地が乏しいため、養蚕や郡内織が行われるようになり、領主秋元氏の奨励もあって、全国有数の織物産地、郡内機業の名が広く知られるようになる。18世紀には享保の改革で天領となり、明治まで谷村に石和代官所の出張陣屋が置かれ統治されている。

郡内三十三観音霊場の成立は1714年と云われることから天領になるか否かの時代。天領以前は五代将軍徳川綱吉の側用人であった柳沢吉保が甲斐藩主を長男の柳沢吉里に世襲しており、まだ元禄文化の余韻が残る時節であったろうか。

今回の口絵の普門寺は、郡内三十三観音の第一番札所。都留市のメインストリート国道139とその西を流れる桂川に挟まれた狭領地にある。何とまあ、国道139からの参道を富士急行線が横切るように走っている。境内に足を踏み入れると左手に鐘楼があり、そこかしこにたくさんの草木が植えられ参拝者をお出迎えしてくれている。唐風の拝殿を持つ本堂はすぐ目の前である。 

by 休日画人