<<参考情報>>reference
・1624年地元住人による順礼が始まり。
・長野県伊那地方に点在。
・廃寺や公共施設に合祀される所も多々。
・飯田市の立石寺からスタート。ここを南端とし、東の天竜川と西の中央自動車道で挟まれる帯状のエリアを左右にうねりながら北上をしていく。最後は高森町の瑠璃寺で結願となる。
<<ぷち情報>>petite info
伊那西国の開創はかなり古い。
信州飯田の地は、戦国期には、武田氏、徳川氏などの家臣の所領となっていたが、関ヶ原の後、下総古河藩から小笠原秀政が入部し飯田藩として立藩されている。小笠原氏は1613年に松本藩へ移封され一時は幕府領となるも、1617年に伊予大洲藩より脇坂安元(脇坂安治の子)が入部。もともと脇坂家は外様の小藩であったが、将軍家光の信任の厚い堀田正盛の次男を養子としたことから、脇坂家は譜代大名として飯田藩を構えることになったという。
伊那西国三十三観音霊場の成立は1624年。脇坂家が領主とした統治が始まって落ち着いてきた頃合であろうか。地元住人による開創との言い伝えもあることから、各集落の信仰の地が巡礼地としてまとめられたものかもしれない。事実、札所も大きな寺院と素朴な堂宇を紡いだような札所となっている。特異な点は富みに立派な山門を有する寺院が多いことであろうか。
今回の口絵の立石寺は、伊那西国三十三観音の第一番札所。この口絵からここが山門か?と思われるかもしれないが、実はもっと参道の下流には仁王さまのいる立派な山門がある。その山門と場所を隔ててこの鐘楼門。石垣の上にさらに石段を積んだ場所にこの鐘楼門が組まれ、天から迫り来る威厳と重厚さを感じさせてくれる。この石段を上った先にまさに古刹と言わしめるような本堂があり、観音様が祀られている。