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置賜三十三観音


 

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・1620年代直江兼続の後室『お船の方』が発願との言伝え。

・山形県南部の置賜郡に点在している。

・置賜、庄内、最上をあわせ出羽百観音と称される。

・辰年開帳。

・道程は米沢市の上小菅観音より始まる。が、順打ちにはハードな札所となっており、前半は飯豊町や長井市を順当にめぐっていくものの、その後は、東の南陽市、南の米沢市、北の白鷹町を飛び歩く配置となっている。最後は米沢市の浅川観音で結願となる。

 

 

 

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戦国武将数あれど、兜に「愛」の文字が光るは?
上杉景勝の家臣、知将と知られた直江兼続。置賜三十三観音霊場は後室のお船の方が上杉領内の観音巡礼個所を選定したとの言い伝えもあるらしい。
さて置賜の歴史を見ていくと『続日本紀』に和銅5年(712年)に置賜郡、最上郡ともに出羽国に割譲されたとあり、これが文献初見となる。平安末期は奥州藤原氏の支配下に入ったものの、鎌倉幕府軍により滅亡し、大江広元が地頭に補任されることに。その後次男時広がこれを継承し、土地の名である長井荘から長井氏を名乗ることになる。戦国期には置賜郡を治めた長井氏が伊達氏の侵攻により滅ぶと、置賜郡一帯が長井荘と呼ばれ伊達領となる。戦国期終盤、豊臣秀吉による奥州仕置により伊達政宗は国替えを命ぜられ、代わって蒲生氏郷が統治。またその後すぐに、越後の上杉景勝が会津に入り、置賜郡はその家臣である直江兼続が統治することになる。 関ヶ原の戦いを経て、西軍に組した上杉景勝の領地はさらに絞られ、置賜郡・信夫郡・伊達郡のみとなり、米沢藩へと繋がっていく。中興の祖第9代藩主上杉治憲(鷹山)による改革によって藩政を建て直し、幕末まで存続することに。
今回の口絵の九野本観音は、置賜三十三観音霊場の第五番札所。木々の隙間から周辺に広がる水田と、遠方にまだ残雪を残した山並みを拝むことができる。そんなひとこまをスケッチ。

 

 

 

置賜三十三観音 水彩画 リストA 休日画人の古刹めぐり
置賜三十三観音 水彩画 リストB 休日画人の古刹めぐり

 

 

 

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