SANO33

佐野三十三観音


 

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・1698年(元禄期)雲国法師により創設と云われる。

・栃木県佐野市を中心に栃木市にも分布。

・御堂が多く、廃寺もあり。

・巡拝は佐野市富岡町の日向寺からスタート。『の』字を描きながら栃木市岩舟町を経由し、佐野市の南端まで進んでいく。ここから反転し北上。田沼町を経て、まずは西側の谷地を上っていく。一度取って返し今度は東側の谷地を進みながら札所を重ねていくことに。最後は栃木市出流町の満願寺で結願となる。

 

 

 

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佐野の土地は佐野荘から始まる?
佐野荘は保元の乱以前に、後の佐野氏となる藤原秀郷の後裔の足利家綱が左大臣藤原頼長に土地を寄進することによって始まる。摂関家領となる。その後、鎌倉期、室町期と連綿と佐野氏による支配が続く。一時期、戦国期に長尾顕長との戦いに敗れて一旦断絶するものの、一族が豊臣秀吉に仕えることで佐野氏が再興する。江戸期に入り、伊予宇和島藩主の改易に連座して佐野氏も改易され、佐野藩は廃されて幕府直轄となる。4代将軍家綱時代に大老堀田正俊の三男の堀田正高が、正俊の遺領から下野都賀郡、安蘇郡のうちに別家を立てることを許され1684年佐野藩が再興するものの、1698年に近江堅田に移封され再び佐野藩は幕府領となる。正高から4代後、堀田正敦が近江堅田より移封されて佐野藩が再興し、以後は堀田家の支配で明治維新まで続くことになる。佐野三十三観音霊場開創の1698年は? まさに堀田氏による支配から幕府直轄に移行するその時代に開創されている。雲国法師はどのような思いで開創されたのであろうか。
今回の口絵の日向寺は、佐野三十三観音霊場の第一番札所。街中の観音山公園にその日向寺はある。小高い丘陵にその本堂がある。本堂下の広場から丘陵全体の情景をスケッチ。倒れている一本のスギの木が印象的であった。

 

 

 

佐野三十三観音 水彩画 リストA 休日画人の古刹めぐり
佐野三十三観音 水彩画 リストB 休日画人の古刹めぐり

 

 

 

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