<<参考情報>>reference
・1979年(昭和54年)に開創。
・北陸三県に分布。
・霊場会HPあり
・のぼりや案内版等あり
・福井県高浜町の中山寺からスタート。京都から下る方向に札所を進んでいく。最後は富山県朝日町の護国寺で結願を迎える。この先、親不知海岸で行き止まり。。。
<<ぷち情報>>petite info
三県?
北陸三十三観音とググってみると、
1979年(昭和54年)に富山・石川・福井の真言宗寺院が中心となって開創、と出てくる。
現在は、特番を含め、計36カ所で構成されているが、
結構新しい霊場である。
この「北陸」の名称、
こちらも再度ググってみると、
律令制時代の地方行政区画である五畿七道の「北陸道(ほくろくどう)」に由来すると出てくる。
現在の県名でいえば、福井、石川、富山、新潟の4県から構成されている。
当時の国名いえば、若狭、越前、加賀、能登、越中、越後および佐渡の7国となる。
ちなみに、律令制以前には、北陸道の地域は「コシのくに」と呼ばれていたらしい。
古事記には「高志」として登場。
後にコシに「越」が充てられるようになり、越前、越中、越後などの名称が浸透。
1300年以上も経た現代でもこれらの名称は現役バリバリである。
本来北陸は4県のはずであるが、北陸三県という言葉がある。(北陸二県は聞かない、、)
地理的に「糸魚川静岡構造線」があり、また電気的に「周波数区分」がある。
三県と四県の間、すなわち富山県~新潟県の間には、距離以上に上記要因等を含み、大きな隔たりがある、といったところであろうか。
ちなみに今回の北陸三十三観音であるが、御多分に漏れず、北陸三県から構成されている。
いつになるのかわからないが、
霊場ブームが再来した折には、ぜひとも北陸四県をつなぐ霊場ができることを望みたいものである。
今回の口絵の石観世音は、北陸三十三観音霊場の第七番札所。
本堂までの道程が長い。 また自動車やバスの入れるエリア制限があり、少々歩く覚悟をする必要がある。