<<参考情報>>reference
・1256年(康元元年)北条時頼に始まると云われる。
・新潟県全域に広く分布。
・霊場会あり。辰年開帳。
・ルートは新潟県の南、上越市の『岩屋堂』から始まる。初段では沿岸を北進しながら札所を打っていく。途中海岸から離れ魚沼地方をぐるっと大きく巡拝し再び沿岸に戻ってくることになる。その後北進を重ねながら一気に県北の村上市まで札所を重ねていく。ここでUターンし内陸の五泉市などを経由し最後は三条市で結願となる。
<<ぷち情報>>petite info
越後のちりめん問屋のご隠居。
「越後」の名称は小さい頃からなぜかしっくりと。TV「水戸黄門」の影響か?
今回の旅は越後三十三観音霊場。その越後国は七世紀末の律令制の発足当初から存在していたらしい。その後和銅五年(712年)に合併などの末、ほぼ現在の形(≒新潟県)になったとされています。初代の越後国守として706年に威奈大村が任ぜられ越後統治がスタート。平安末期には東北地方の城氏が権力を奮っていたものの、源平争乱期には木曽義仲に敗れて義仲が越後守に。鎌倉期に入ると、源頼朝は越後を知行国として管轄。佐々木盛綱を越後守護として統治させています。その後の執権時代には徐々に北条氏へと権勢がシフトしていくことになります。
旅の舞台である越後三十三観音は、そのような鎌倉期に越後国全域に形作られた観音霊場。いまの上越市から始まり、中越、下越へと、かなりの道程を覚悟する必要があります。
今回の口絵の岩屋堂は越後三十三観音霊場の第一番札所。山の中腹。うっそうとした森の中にその御堂があります。崖のすぐ下に祀られ、岩を染み出てくる水が御堂の御前に湿地を作っています。