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奥相三十三観音


 

<<参考情報>>reference

・江戸期正徳年間(1711~16)に開創

・福島県相馬市・南相馬市を中心に点在

・看板が各所に残る。

・相馬市の新沼観音堂から始まる。初段は相馬市周辺の近場を巡っていくが、十番になるころには浜沿いを大股に南下するように進んでいく。中段で浪江町・双葉町まで至り、周辺の札所を参拝。この辺りは現在は立入制限されている地域もあるので要注意である。後半に入り山手沿いに北上。最後は南相馬市で結願を迎えることになる。

 

 

 

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<<ぷち情報>>petite info

 

 <追加>updated

2024年春、3年ぶりにこの『奥相』の地に足を運んでみました。

ご存じのように『奥相』とは東日本大震災による原発事故で大きな被害を受けた双葉町や浪江町等を含むエリアであり

いまだ多くの所で立入制限が続いている地域となっています。

 

これまでの地道なる除染作業の結果、立入制限地域も段々と縮小し、

また帰還困難区域内に設けられた特定復興再生拠点区域の除染も進み、

着実に除染作業は前進してきているようです。

 

しかしながら、実際に現地に立ってみると、

『住めること』と『生活すること』との違いを強く実感させられます。

特に被害の大きかった双葉・浪江エリアでは、未だ無住の家屋がたくさん見受けられ、

生活騒音も聞こえてこない異常な『静けさ』に驚かされます。

 

そういった中ではありますが、今回は新たに4カ所の札所を巡ることができました。

その内の1カ所については、除染作業と共に観音堂も取り壊され、

標柱と案内板だけが往時の面影を留める形になってしまっていました。残念!

 

結願まで残り2ヶ所。

いつになったらこの札所を訪ねることができるのか、またその時観音堂が残っているのか、

とても・とても不安ですが、一日も早い復興を願うばかりです。

 

 

 

 

<オリジナル>original

震災から10年を経て。

まだまだ記憶に禍々しい東日本大震災。そして続く原発事故は日本中を震撼とさせた未曾有の大事故でした。早10年という歳月が経たものの、いまだ帰宅困難地域や立入制限がされる地域があり、今回の旅の舞台となる奥相三十三観音霊場とは、そういった地域に伝承されている貴重な文化遺産のひとつとなっています。

奥州中村藩五代藩主、相馬昌胤が西国三十三観音霊場にならって正徳年間(1711~16)に札所を定めたことに始まると云われています。しかし、近年では社会の変化により巡拝者は減少。さらには原発事故の影響により壊滅的となり、所によっては維持管理もできない状態が続いているのが現状となっています。

話を千年ほど過去に遡りましょう。もともと相馬氏は平氏の名門のひとつ。下総国相馬郡(茨城県取手市周辺)を出自としていたそうです。鎌倉期に起きた内乱の平定によって二代目相馬義胤は陸奥国行方郡(福島県南相馬市周辺)に地頭職を得ることになり、子孫が塁代々とこの地に土着し、生活を育み、近代までその統治が続いていきます。戊申戦争までの統治が続いたと云われることから約700年超。日本中でも稀有な長期統治であり、領民にとっては生活安定をもたらしてくれた実にありがたい領主さまであったことと思われます。そんなこの地に観音霊場が開創されたのが1710年代。ざっと約300年の歴史を刻んで今に伝承されて来ているものです。

今回の口絵の新沼観音堂は、奥相三十三観音の第一番札所。相馬市役所から北東に約2kmほど。常磐線と相馬バイパスに挟まれたひっそりとした森の中にあります。道路わきの沼地があり、その奥にあるちょっと小高い所にお堂が建っています。六角をした小柄なお堂に千鳥型の向拝を備えるといったとても稀有な御堂の形を成しています。

 

 

 

奥相三十三観音 水彩画 リストA 休日画人の古刹めぐり
奥相三十三観音 水彩画 リストB 休日画人の古刹めぐり

 

 

 

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奥相三十三観音 水彩画 リスト 休日画人の古刹めぐり