MIYAGIGUN33
宮城郡三十三観音
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・縁起不明
・宮城郡内を巡る。
・標柱が散見される
・仙台市の南、名取市に近い辺りからスタートする。初段は沿岸に沿うように北西に向かいながら札所を訪ねていく。中盤で多賀城市に入り周辺を練り歩くようにめぐる。その後海岸線に出、七ヶ浜町や松島町の札所を打っていく。最後は多賀城市で終えることとなるが第三十三番は廃寺となっており、第三十二番の志引観音堂で打ち止めとなる。
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歌枕?
本稿とは別世界のような言葉。
すーっと頭に入ってくる方はかなりの博学と。
「歌枕」とは和歌に出てくる技法のひとつらしい。
古来から幾度も歌に詠みこまれた言葉は、名所となったり、物事の例えとなったり、そして訪れたことのない人の歌にも引用され、思いを伝える重要な役割を担っているのである。
江戸後期においては、この歌枕を用いた紀行文や浮世絵なども数多く描かれ、歌の世界だけではなく、話題性やあるいは観光名所として広く庶民に広がり、市民権を得ていっているのである。
さて今回訪れた宮城郡三十三観音霊場には数カ所、「歌枕」で霊場が指定されている。
ひとつの例をあげれば、第十七番札所は「末の松山」。
『古今和歌集』には二首、これを「歌枕」とした和歌が収録されているとか。
なぜこんな時代に?
奈良時代、大和朝廷は東征(征夷)をすすめ、東北地方に政治軍事の拠点として多賀城を築いている。
この多賀城には万葉集の編者といわれる大伴家持をはじめとし、当代の文化人が多く赴任しているのである。
赴任した官人たちは、みちのくの情景を和歌の中に描き、遠い都とのやりとりを行っている。
和歌に表現された言葉は重要なキーワードとなり、都の受け手に大きなインパクトとなり、歌枕にまで昇華していく。
平安時代の歌人である能因法師は、陸奥を京都、奈良に次ぐ第三の歌枕の国として位置づけていたと云われているほどであり、盛んに活用されていた様子が想像させられる。
さて毛色が少し違ったような宮城郡三十三観音霊場であるが、
開創に関しての詳述は残っていない。一般には江戸期の中期~後期と云われているが。。。
時代考証のひとつとして、第三十一番札所となっている「壺の碑」が挙げられる。
この石碑には建立が762年とあり、奈良時代の多賀城の建立について書かれているのだが、江戸初期に土の中から発見されるまで長らく惰眠を貪っていたのである。
また「奥の細道」には、芭蕉も「壺の碑」を元禄2年(1689年)に訪れたと記録が残っているとか。
宮城郡について調べてみると。
宮城郡とは全く=宮城県ではなく、参考に明治初期のエリア図で観てみても、今の仙台市の中心を含むかなり東西に横長のエリアとなっており、宮城県のざっくり1/10程度か。
宮城郡は成立は奈良時代初頭と云われ、宮は朝廷、城は多賀城から派生し、「宮城」と呼ばれるようになったとか。
江戸期にはこの宮城郡も伊達藩の一部となるわけであるが、
位置づけ的には仙台藩の中核の郡であったようであり、
代官や地方役人が勤める「宮城郡国分御代官所」が置かれ、
国分32ヶ村、宮城32ヶ村、高城13ヶ村、計77ヶ村からなっていたと記録が残っている。
江戸期の災害史もチェックしてみると。
一番大きな災害は1782年に起きた天明大飢饉。約30万人におよぶ餓死者が出ていると云われている。
その前後にも1755年宝暦飢饉、1832年天保飢饉などもあり、それぞれ数万人の餓死者が発生。
1797年は大規模な百姓一揆も発生している。
上記の史実から霊場開創についていろいろと推測をしてみる。
大きな災害は発生しているももの、仮に鎮魂の主旨で霊場が開創されたのであれば
藩全域に及ぶ話であり、宮城郡に限定されていることとはイマイチ合致してしない。
また実際に巡拝してみると気付くのだが、小さなお堂が多く、寺社が混在している。
もし宗教色が強ければ寺社の格式とか宗派とかの色合いが出てきて然るべきであるが、その帰来はない。
たどり着いた推論は下記。
江戸の元禄期(1688年 - 1704年)からちょっと下った頃の開創ではなかろうか?
「歌枕」にみられるように元々この霊場は文化的香りが強い。
松尾芭蕉が訪れたのは将に元禄期の初頭。元禄文化が花咲き始めたころである。
もともと上方生まれの和歌の文化を源泉とし、歌壇俳壇にもその知識や息吹が濃密に流れているであろうことは疑いもない。
芭蕉の旅は地元愛好家へ大きな刺激となり、まずは歌壇俳の間から盛り上がり、さらには庶民の中に文化が
浸透していったのではなかろうか。
これら歌壇俳壇の中には信仰心の篤い方もたくさんおられたことであろう。
文化と信仰心が結びつき、観光的な霊場めぐりが創案され、霊場が成立していったのではなかろうか。
他霊場とはひと味風味の違ったものだったかもしれない。
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