IWAKI33

磐城三十三観音


 

<<参考情報>>reference

・1518年(永正十五年)に開創と云われる。

・福島県の磐城地方に点在。

・堂宇の比率が高い。

・ルートはいわき市平の普門寺からスタート。前段では南エリアを訪ね、勿来町や小名浜をめぐる。ここでUターンし北上。四倉を経てさらに双葉郡に入る。この後は大股で進むような距離感で進み、最後は富岡町の保応寺で結願となる。

 

 

 

<<ぎゃらり>>gallery

 

 

 

<<ぷち情報>>petite info

実にいろんな「いわき」があるもんだ。 磐城、岩城、石城。。。
奈良時代初期に編纂された『常陸国風土記』によれば、当時石城評造が置かれていたが、653年に石城評として分立し陸奥国に属す。 718年陸奥国の分割にともない石城国が成立するもののわずか十年足らずで再び陸奥国に帰属。文献史料上ではこの頃までは「石城」と記されるが、766年の記事表記には、「陸奥国が磐城・宮城の2郡の貧民に稲を給付した」との記録から「磐城」になっている。10世紀前半に著された『和名類聚抄』では、磐城を始めとして12郷が置かれていたとある。中世と言われるこの時代には、常陸平氏を祖とし奥州藤原氏の血を受け継ぐ岩城氏がこの土地を統治し、南部の佐竹氏や西の白河氏・那須氏、北の相馬氏などと勢力争いしていた時代である。磐城三十三観音の開創が1518年頃とすれば、そんな岩城氏が覇権争いしている時代に霊場が形作られたことになる。その後の「いわき」について書き加えておくと、明治維新後に始まる常磐炭田の開発により大きく変貌。1872年に磐城郡・磐前郡・菊多郡がスタート。1896年には再び合併し石城郡が復活。さらに1966年には磐城市をはじめとした14市町村が合併し、当時日本一おおきな市として「いわき市」が誕生となる。1966年にオープンした常磐ハワイアンセンター、現在のスパリゾートハワイアンズも忘れてはいけませんね。
今回の口絵の医王寺は、磐城三十三観音霊場の第二番札所。阿武隈山地が海岸に迫り、平地は狭く、起伏の多い土地となっている。この医王寺も本堂を囲む高台の丘陵地まで墓地が広がっている。そんな高台よりお寺の伽藍をスケッチ。

 

 

 

磐城三十三観音 水彩画 リストA 休日画人の古刹めぐり
磐城三十三観音 水彩画 リストB 休日画人の古刹めぐり

 

 

 

<<りすと>>list

磐城三十三観音 水彩画 リスト 休日画人の古刹めぐり