<<参考情報>>reference
・縁起不明。
・旧下総国に分布
・案内板などはない
・船橋市の長福寺から巡拝スタート。一般の霊場のような流れるルート設定とはなっておらず、札所が入り乱れている。札所は流山市から柏市にかけた地域に密集しており、結願は番外となっている市川市の国分寺で迎えることになる。
<<ぷち情報>>petite info
最近でも「下総」はよく使われているのかしら?
現代では千葉県北部を下総を呼ぶことが多い様ですが、律令時代に作られた下総国とは千葉県北部と茨城県西部にまたがる広大な領域を有した律令国のひとつであったようである。当時11の郡(葛飾、千葉、印旛、匝瑳、相馬、猿島、結城、岡田、海上、香取、埴生)をもって下総国が構成されている。中世には千葉氏の歴代当主が下総国の守護と権介を兼ね、最北部の結城氏も一時期下総国の守護に任じられてはいるものの、15世紀に入ると結城氏も千葉氏も関東に興る騒乱に巻き込まれ次第に衰退していくことに。江戸に家康が入国した後は、下総国には筆頭として古河藩(16万石)が配置され、その他幕府領や旗本領も入り込み複雑な統治体制となっていたようである。主軸となる古河藩、佐倉藩も相次ぐ藩主の交代もあり、なかなか旧下総国全体としての連結は弱く、明治維新後は離散集合を繰り返し最終的には下総国は茨城、千葉、埼玉の3県に分割されていくことになる。今回の舞台である下総三十三観音霊場は下総国全体ではなく葛飾郡と印旛郡あたりにまたがるような一地域に形作られ、また巡礼ルートはあちこちに入り乱れるような不規則な配置となっている。が逆にみれば当時のこの地域の情勢、歴史を反映した結果と見ることもできるかもしれない。
今回の口絵の竺園寺は、下総三十三観音の第十八番札所。現在はすぐそばを外環自動車道が通り、整備された側道の傍らに佇む。境内の手入れはすばらしく、特に境内一面に枝をのばす松の姿は感動を与えてくれる。絵はそんな境内の情景を描いている。