<<参考情報>>reference
・1765年(明和二年)に開創とのこと。
・群馬県伊勢崎市の市内に大部分の札所が集約。数カ所は廃寺・跡地となっている。
・観光協会のまとめた小冊子がある。
・スタートは伊勢崎市馬見塚町の延命寺。ここを円の底面として左回りに伊勢崎市を周回していく。前段で伊勢崎市内の札所を訪ねた後、東エリア郊外をめぐっていく。一カ所のみ太田市の札所があるが、すぐに伊勢崎市に取って返し終盤は起点をめざし戻っていく。
<<ぷち情報>>petite info
正確には伊勢崎佐波三十四観音霊場か?
現在、佐波郡と呼ばれるのは玉村町しか存在していない。この伊勢崎周辺は明治維新後は佐波郡と云われていたらしい。この佐波郡から前橋市・伊勢崎市が独立。残されたのが玉村町のみとなり現在の姿になったということのようである。
江戸時代には伊勢崎藩が存在している。江戸幕府の発足とともに立藩。紆余曲折があったものの、幕末には幕閣の老中を担った名門酒井家が所領として賜っている。伊勢崎三十四観音霊場開創の1765年ごろも酒井家の所領だったのであろうか? また三十四という数字からみて秩父三十四観音の写し霊場だったのであろうか?
今回の口絵の延命寺は、伊勢崎三十四観音霊場の第一番札所。山門の前に阿吽の石像が待ち構えている。コンパクトな伽藍に、鐘楼と本堂が配置されている。斜め前方よりお寺全体をスケッチしています。