<<参考情報>>reference
・1723年(享保八年)穏誉上人により開かれたと云われる。
・埼玉県東松山市を中心に、川島町、嵐山町などに広がる。
・堂宇の比率が高く、廃寺も数カ所あり。案内板等の目印もない。
・スタートは東松山の森林公園近くの城恩寺から。街中を経て南東方向の川島周りをめぐる。中段から西に取って返し滑川町、嵐山町を訪ねていく。この辺りが難所で御堂が民家の裏にあったりと、混迷を極める。最後は東松山に戻って結願となる。難易度は高く事前調査が必須。
<<ぷち情報>>petite info
へえ~。比企の名称は鎌倉初頭までさかのぼるんだあ~。
現在の比企郡は滑川町、小川町、川島町、吉見町、鳩山町、ときがわ町を所轄し、埼玉県のほぼ中央部に位置しています。比企の名称は源頼朝の乳母となった比企尼、そしてその後御家人として家督を継いだ比企能員により隆盛の時期を迎えています。時は二代将軍に移り比企氏は将軍外戚として権勢を強めたものの、将軍の母方外戚である北条氏と対立。比企能員の変にて一族が滅びることとなります。。。。。
そんな比企の名を冠した比企郡エリアに広がるのが比企西国三十三観音霊場です。
今回の口絵の等覚院は、比企西国三十三観音霊場の第四番札所。山門の四足門をフレームとして本堂を描いています。札所の中盤に差し掛かると御堂が民家の裏にあるなどわかりずらい場所が出てきます。事前の調査をお忘れなく。