<<参考情報>>reference
・縁起不明。大正期か?
・栃木県芳賀郡の南寄りに分布。多くが芳賀町に。
・重複する札所が多数。絵は巡れた所のみ。
・標柱のある場所もある。
・芳賀町の崇真寺から巡拝スタート。全体として「の」の字を描くような順路になっている。まずは南下をしていく。真岡市に入った所で反転。西側を巡りながら北上。中盤に西から東へ移っていく。市貝町、茂木町の札所を訪ねながら最後は市貝町の桂蔵寺で結願となる。
<<ぷち情報>>petite info
大正期に成立か?
「芳賀秩父三十四観音霊場」は大正期開創、との文字も垣間見ることもできる。
「芳賀坂東」での調査に引き続き、手掛かりを求め「芳賀氏」について調べてみる。鎌倉時代から戦国時代にかけては武家芳賀氏が活躍している。清原氏を源流とし、下野国芳賀郡の地名を冠した芳賀氏である。主系は宇都宮氏であるものの、芳賀高俊により築城された飛山城跡はその権勢の面影を現在も伝えて遺構のひとつとなっている。残念ながら、戦国期末期には、主系宇都宮氏とともに衰退していってしまい、江戸期は芳賀の地は幕府領として統治されていくことになる。
結局、霊場開創と芳賀氏族隆盛の時代とには大きなずれがあり、歴史的関係性は浮かび上がっては来なかった。
今回の口絵の来迎寺は、芳賀秩父三十四観音の第二番札所。本堂の脇にちょこんと観音堂がある。近年建て直されたものなのかきれいで可愛いお堂である。境内はウッソウとした高木で囲まれている。